「君の名は。」に足りない新海誠の哲学について

俳優ブロガーあずま(@azumakotoba)です

2017年空前のブームを引き起こした「君の名は。」

2017年7月26日にTSUTAYAでレンタル&販売も開始しました

興行収入250億円

歴代興行収入ランキング4位

 

これは素直に快挙、凄いことだ

凄いのは数字を見れば完全に明らかだ。

しかし、僕はどうも納得がいかない

だって、この映画

 

 

そこまで面白い・・・?

 

 

新海誠作品を全て見た私から見た「君の名は。」についての考察

 

新海誠の哲学から外れた「君の名は。」

君の名は、若者受けすることは分かる

しかしこれはある意味、新海誠の哲学が削がれている

それは自分の哲学をかなり排除してエンタメに寄せているからだ

 

映画を作る上でこの客観的プロセスは大事だと思う

いや、必須だ

自分の尺度だけで映画を作ってそれが売れるのは一部の天才にしかできない技である

主観的な立場を客観的な思考で編集するのは大事

それが売り上げに直結するし

今回ウけた層、つまり映画にそこまで興味がない人口を引き寄せることができた

これは商売の基本とも言えるかもしれない

 

 

しかし僕は「秒速5センチメートル」のほうが断然好きだ

 

 

「秒速5センチメートル」は新海誠監督の作品、好きな人が他の人とくっついて鬱になる話

あの切なくて儚い世界は自分の想像する最高の世界でもある

どこかナルシチズムが感じられる

何か抑圧的なものがずっと漂っている

それと対比するように綺麗すぎる世界

日常の輝き

 

新海誠の一番輝いているのは「雲の向こう、約束の場所」の最初から中盤まで

 

この中盤までは、ああ新海誠、分かるよ

その学生独自の何もわかってないのに全てを理解しているような、その感じ、それに対比させた社会的モチーフ、電車、それを何か美しい美術品であるかの如く描くことで視覚的には美しくも中の奥底には何か形成しきれてない、そして自分の理想を投影させた儚さ

 

中盤以降は話を展開させる為にゴチャゴチャしてきてついていけなくなる

でも中盤までは本当に完璧

神がかっている

本当にわかってるわかってる

 

でも全体のパッケージの完成度からいくと「秒速5センチメートル」がやはりいいかなと。

 

僕が映画を撮るならこんな映画が撮りたいなと思ってたのを、ああ、やられちまった、と同時にこれを作り切ることの行動力には参った

君の名は、で新海誠成分が足りないな、と思ったのはつまらなそうな街の風景なんですよね

彼は田舎の美しさよりも街の荒んだ美しさを描くほうが絶対にあってる

彼はよく電車を映画内に出すがあれはよくわかる

電車の中や駅のホームてなんか社会的なものが詰まっているのと同時にそれが空っぽになった時の寂しさも兼ね備えているからモチーフとして最適ということ

だから今回、「君の名は。」の田舎の自然的な美しさを押し出すということに新海誠はあまり都会の街ほどこだわりがないなと見てて思った

彼独自の哲学的成分が感じられない

僕は彼の描く背景から彼の哲学を感じたいのだ

新海誠はやはり都会の抑鬱を綺麗に描くことに視点の重きを置いたほうがいい

彼はそのままで美しい自然を扱いきれない

なぜなら彼は僕と同類の青春のきらめきを現実では味わえなかったから仕方なく映画という芸術で発散するしかないというタイプだからだ

だから彼はそもそもそのままで美しさのある美しい自然では彼は高揚していないはず

彼はこれからも自分が味わえなかった理想の青春を彼独自のナルチシズムで映画に投影し続けて欲しい

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