人生は捧げることだ———『日の名残り』書評

俳優ブロガーあずま(@azumakotoba)です

英国のブッカー賞を受賞したカズオイシグロ氏の名著

舞台は1956年の英国

あらすじ

  1. お屋敷の人出が足りない
  2. 結婚してお屋敷から出て行ったミスケントンから手紙が届く
  3. 手紙から察するにお屋敷に戻りたいのではないか?
  4. ではお屋敷でまた働いてもらうために連れ戻しにいくぞ!

小説というより執事の日記を読んでいるかの感覚

現実味というか親しみを感じる、またそれが一番効果的な手法にも思える。

物語は執事であるスティーブンスの行動と回想が織り混ざり合って進んでいく

目次はこんな感じ

執事のロードムービーと行った感じかな

読んでいて気持ちいいのは

  • 主人公の執事という職業への熱さ
  • ダーリントン卿への忠誠心
  • 切ない描写

品格について

この物語の主人公である執事のスティーブンスは生涯”品格“についてずっと考えてきた男

執事という職業はスーツのように簡単に着脱できるものではない

品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに堪える能力だと言えるのではありますまいか。並の執事は、ほんの少し挑発されただけで職業的あり方を 投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。そのような人にとって、執事であることはパントマイムを演じているのと変わりません。ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。すると、たちまちうわべがはがれ落ち、中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大であるゆえんは、みずからの職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。外部の出来事には-それがどれほど意外でも、恐ろしくても、腹立たしくても—動じません。偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるような真似は、たとえごろつき相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にいたしません。それを脱ぐのは、みずから脱ごうと思った 彤こうと思ったとき以外にはなく、それは自分が完全に一人だけのときにかぎられます。まさに「品格」 の問題なのです。

品格、これは執事という職業をこなす上で自分に課したいわば自分ルール

この自分ルールを守りきって仕事をこなせるかがプロの仕事なのだろう

これは今を生きる僕らにも応用できることだと思う

この世界ははしごではなく車輪である

主人公のスティーブンスはとにかく名家に入れれば執事としての立場が上という意見に納得がいかない

執事はハシゴの上に行くことではなく、車輪の中心にいることに喜びを感じることができるのではないかという意見

私どもは、先のどの世代も見過ごしてきたある事実に、初めて気づいた世代ではありますまいか。それは、世界で最も重要な決定は公の会議室で下されるものではない、という事実です。あるいは公衆や報道機関の注視する中、数日間の国際会議で下されるものではない、という事実です。私どもにとりまして、議論も決定も、およそ重要な事柄はすべて、この国の大きなお屋敷の密室の静けさの中で決まるものでした。公衆の面前で華やかな式典とともに繰り広げられるたぐいのものは、しばしば、そうしたお屋敷の中で何週間、何ヶ月にもわたってつづけられてきたことの結末であり、承認であるにすぎません。この世界が車輪だという意味がおわかりでしょうか。それは。偉大なお屋敷を中心に回転している車輪なのです。中心で下された決定が順次外側へ放射され、いずれ、周辺で回転しているすべてに–貧にも富にも–行き渡ります。

上に行くのではなく中心にいることで自己の重要感が満たされるというのは確かに納得できるものがある

人生とは

僕らは仕事をしていてこんな人生でいいのでいいのだろうか?

自分が今やっていることは本当にこの世の中で役に立っているのだろうか?

もっとするべきことがあるのではないかなどと考えがちです

私どものような人間は、何か真の価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうあれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてのよい十分な理由となりましょう。

覚悟を決めたら突き進むのみ


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